集団チンアナゴ
よしんば霊が視えるからって一体それが何の得になるって言うんだ?良いことなんざ一つもありゃしないさ。
「…ふざけんなよ、大馬鹿野郎が…」
一般的な会社勤めのサラリーマンにとって月曜朝の通勤ラッシュほど心身を摩耗するイベントもそうは無いだろう。まぁ…あるにはあるんだがな。今朝のコレもその一つだと思わないか?何故?どうして?選りに選ってこの電車を選んだのかと、恐らく今はもう息をしていないであろう奴さんの襟首を引っ掴んで問い質したくもなるってもんだ。…もう数分ほど辛抱して次発の電車に飛び込んでくれていたらこんな最低な思いを抱くこともなかったのにな。…最低なのは俺か。ハハッ
「…ふざけんなよ、大迷惑野郎が…」
いつの頃からだろう。この手の巻き込まれ事故にもすっかり慣れきってしまった俺は、驚きや不安よりも先に憤りが鎌首をもたげてくるようになっていた。…激しく怒ることで惨状から意識を背け自分の心を必死に守っているのかも知れないが、それはさて置き満員に近い車内で長時間同じ姿勢で立ち尽くしていると無性に空を眺めたくなってくるのが人の性というものらしかった。正面の車窓から見える切り取られた景色なんかじゃ物足りず、首ごと頭を大きく反らして目線が天井へと吸い込まれるように上向いていく。そうなるともう二度と下を向くことが出来ない。
なんとなくだが周囲の乗客達も自分と同じように上を見ているような気がした。だからっていちいち確認なんてしやしないさ。皆が揃って天井を見上げている気持ち悪い光景なんざ見たくもないだろう?ふと、スターゲイジー・パイとかいうパイ生地に刺さったまま虚空を見つめる魚の妙竹林な絵面がぽっかり脳裏に浮かんできて失笑してしまった。…俺達の場合はどっちかと言うと砂底からにょろりと飛び出して屹立するチンアナゴの集団っぽいかも知れないな。
その時、
視界の下方を白い靄のような霞のようなものがすいっと横切った。OK!OK!気のせいだ。俺はどうしても今すぐに空を拝みたくなり、どうか天井が透明になりますようにと神へ祈りを捧げ始めた。周りの乗客達の気配が俺と同じ熱量を帯びたのを肌で感じたので、この人数の熱視線ならば或いは電車の天井にも穴を空ける可能性だってあるかも知れないと大真面目に考えだす。…瞼を閉じるのは怖くてたまらなかった。
あまりの恐怖に耐えかねたのか、乗客の一人が「見上げてごらん夜の星を」を震える声で歌い始めた。渡りに船とばかりに便乗した俺達も一斉に歌い出し、どうせならば明るい歌を歌おうと「上を向いて歩こう」を合唱することになった。その頃には座席に座っていた人達もすっくと立ち上がり、俺達と同じように天井を凝視して歌唱に参加しているのを察していた。そりゃ見たくないものを見たくはないよなぁ。
―――…電車の運行が再開して駅に着いたというアナウンスが聞こえたが俺達は確信していた。まだ居るのだと。だから開いたドアから車内に乗り込もうとした人々が一様に驚愕して大きな悲鳴をあげたのも無理からぬことだと思う。素っ首を極限まで反らして上を見上げたまま立ち尽くし、陽気な歌を陰気に歌い続ける異様な集団を目の当たりにしてしまったのだから。―――そしてその奇妙な集団の足元には鉄錆臭い赤い水がぬらぬらぬめぬめと床一面に拡がっていたのだから、尚更だよなぁ。
何の水かって?そりゃアレよ
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