瑞穂の国のレジスタンス
日本人にとって『米』は遥か昔から特別なものであった。特別視するあまり、ついには米粒を国貨として制定してしまうという奇行に走ってしまうのが日本という国の度し難さでもあるのだ。…ところが、貨幣の製造を一手に担う造幣局の管理下で品種改良を重ねた結果…稲は稲としての役割を放棄したかのように育つことも実ることもなく枯死していくようになってしまう。それは日本史上最大級の大事件として歴史に刻まれる事になった。―――それから一世紀が経ち―――…
「これが…米の本来の在り方だと…?」
困惑の表情を浮かべた時の首相ドン・ブラコは、握り拳ひとつ分に丸く固められた米粒を掌に受け取った。米粒1個で1ライス(令和で言うところ1円)の単価である。この米粒の塊ひとつで、軽く見積もっても3000ライスはくだらないだろう。
「首相、どうぞ冷めないうちにお召し上がり下さい。」
「召し…?食べる…だと!?」
ドン・ブラコは傍らに控えた側近の顔と、手の内に収まっている米粒の魂とを交互に見比べた。…冗談を言ったのだろうか…。いつも生真面目な彼が?だったら今日はアニバーサリーじゃないか!よし、今夜はパーティ・ナイトだ!!
「そう、米は食べてこそ本来の価値を発揮するものなのです。我々の曾祖父母や祖父母達が幼い頃は米が毎日の食卓に欠かせない主食であったと伝え聞いております。」
確かに我々日本人は古来より穀物…なかでも白米を好んで食してきた民族だとドン・ブラコは歴史で学んでいる。しかし物心ついた頃にはすでに米は通貨として流通しており、正直に言って食べ物としての認識は持ち得なかった。何より現在の日本の主食は豆であり、色とりどりの豆と季節の食材をホクホクに炊きあげた“炊き込みビーンズ”はドン・ブラコの大好物でもある。豆料理と焼き鳥、そして芋焼酎があれば文句無しのパーティ・メニューだ!好物を思い浮かべたドン・ブラコの頬が緩む。
―――…米粒を通貨として扱うための前提として、偽造防止策を含めた様々な技術の粋を施す必要があった。試行錯誤の結果、白米(1ライス単位)には日の丸と富士山を、赤米(100ライス単位)には大空を羽ばたく雉を、青米(1000ライス単位)には枝から綻ぶ桜花を…と国を象徴するシンボルを米粒ひとつひとつに緻密な解像度で印刷するという変態じみた造幣技術を全世界へ披露することに成功したのだった。これぞ正しくMADE IN JAPANの面目躍如であると言えよう。…そんな事を考えていると側近の真顔が視界の端に映る。私が思考の旅から帰るのを生真面目に待っているのだろう。
「どれ。…む、美味い…。」
米粒の塊“おにぎり”に躊躇なく齧り付いたドン・ブラコは想像を超えた美味に思わず唸る。何だこれは!?塩…?待て、中に何か入って…これは豆太子(※まめたいこ…茹でた大豆をたっぷりの明太子で和えた定番の酒肴)かッ!!なんという…こんなに米に合うなんて…
感涙に咽びつつ“おにぎり”を完食したドン・ブラコに、側近のスパイ・デスが追い打ちをかけるかのように耳打ちするのだった。
「いかがでしょう。米を今一度本来のあるべき姿に戻し、新たな貨幣を造り出す事を望む国民の請願に耳を傾けては頂けませんでしょうか。」
…彼の言う国民とは、かつて米農家と呼ばれていた者達のことだろうか。その存在は絶えて久しいが、100年ほど前にはそれなりの集団が属しており相当な強権を振りかざしていたとも伝わっている。当時の主食である米の利権に群がる蝗のように醜い連中は、米粒を国貨と定める改定貨幣法が発令されたのと同時にあらゆる権利を剥奪されることになった。そして稲作は国に厳しく管理され、やがて途絶に至る。
「…なるほど。君の粘り強さの理由がわかったような気がするよ。」
「?恐縮です。」
「だが、君の要望に応えるわけにはいかない。極々一部の国民の声にもな…。そもそもライス(※通貨の単位)を変更するなんて馬鹿げているだろう。こんなに優れた貨幣は他にないぞ。」
キッパリと断言するドン・ブラコの手に握られていたのは“おにぎり”ではなく、色とりどりの米粒が封じられた小瓶だった。カードがなくてもライスと生体認証で電子決済が出来る便利な世の中になったのだ。今さら古ぼけた大昔の貨幣制度には戻れやしない。それにお洒落で洗練された小瓶や細くて頑丈なチェーンストラップの製造販売においても日本は群を抜いており、世界中で支持されているのだ。MADE IN JAPANに栄光あれ!!
「…そうですか。残念です。」
スパイ・デスは生真面目な顔をほんの少しだけ歪めると、スーツの内側に右手を素早く差し入れる。
「!!!」
―――スパイ・デスがドン・ブラコに突きつけたのは銃でもナイフでもなく…ワンカップの日本酒だった。
「な、…これは…。なんて芳しい…、まるで魂が吸い寄せられていくみたいだ…。」
「これも米で造られていたと言ったら…?」
「!!!」
「先程の件、ご再考頂けますね?」
ドン・ブラコの唇が火男のように突き出したままカップ酒の方へと伸びていく様子を、慈愛に満ちた眼差しで見つめるスパイ・デスの姿がそこにあった。彼は、レボリューションの始まりを確信している。日本全土に稲穂を蘇らせるという壮大な夢想を叶える第一歩を、今こそ踏み出すのだ!
「クッ…無駄だ。…こんな、あぁあ〜良いにおい♡…卑怯者めッ!!この程度の誘惑に負ける私では、私では、決して、私…ンンン〜む、美味い!!」
もうダメだぁ、この国
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